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zoom RSS 四天王屋敷の探索@

<<   作成日時 : 2018/03/29 21:56   >>

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 深夜、寝ぼけまなこで、かねてからの懸案の大廻小廻山四天王屋敷を考えていました。
 戦国時代、築地山常楽寺に残されている秀吉からの禁制札には、築地山と多田屋敷の木や竹を伐ることを禁じています。 常楽寺は、明治6年頃に草ヶ部村に合併した小廻山の中腹の築地山村にあり、報恩大師が奈良時代に開基したとされる備前48寺の一寺とされていますが、多田屋敷が伝説の四天王屋敷ではないかと・・・・・。
 天平時代までの常楽寺は、国指定の古代山城の大廻小廻山城の城内にあったと伝えられていますが、明治の初めに作成された池田家文書の中の小廻山の測量絵図にも、伝説の寺院の跡が、赤色描かれてでいます。  
 そして、大廻山と小廻山を取り巻く古代山城の城塁の測量絵図の外周の白紙の部分にも伝説の四天王屋敷が4箇所描かれています。
 四天王屋敷が、神社の鳥居や仁王門のように寺院の境内への入り口にあったとすると、寺院へ参詣する山道の入口にあったのでは・・・・・・、とフト思いつきました。
 早速、桜の季節、蛇がでない?今ががチャンスと家内に付き添ってもらい、気になっていた大蛇(地名)から古代の参詣道と伝えられている谷尻村から、常楽寺の東の石積遺跡のある通称経グロまでの林の中を歩いてみました。 
 途中、古老から聞いていた地頭屋敷の相撲場の跡らしき広場と、石標らしきものものを発見しましたが、屋敷跡と思われる石積などは見当たりませんでしたが、この辺りに絵図にも描かれていた四天王屋敷の一つがあったのではないかと・・・・・・。あとの三か所は?

 

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