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流れ雲

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流れ雲
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私のホームページ「私の花畑にようこそ」と連動して、古代山城の大廻小廻山の麓の草ケ部の風景や身の回りの出来事、思い出を写真とともに記録したいと考えています。

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タイトル 日 時
熊山石積遺跡は改良型の狼煙台
熊山石積遺跡は改良型の狼煙台  熊山の石積遺跡の石積は、この場所にあった、古代人が崇めていた磐座を割って築いたとされています。  その時期は? 現在は天理大学に保存されていますが、石積の中心に収容されていた筒形の須恵陶器などからして、奈良時代ではないかと推定されています。  しかし奈良時代になると律令制によって地方の国々が統率されて、各地に国分寺や屯倉、そして國府を結ぶ国道や駅舎なども配置、中央から派遣された国司などによる支配の体制もととのい、また寺院や神社などのネットワークも整備されるため、末端の豪族や農民へ指令す... ...続きを見る

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2018/06/19 22:14
熊山石積遺跡は神聖な光通信基地
熊山石積遺跡は神聖な光通信基地   律令制の時代には。奈良の都から大宰府まで山陽道を駅令が山陽道を馬を乗り継いで、5日間で文を届けていたとのことです。  しかし、人と人との間の通信、コミニュケーションの原点は会話ですが、集団で生活するようになると、大声や太鼓でも届かない離れた仲間への連絡の手段として、人々は何を考えたのか。  まず考えられるのは、@高いところに登って旗などを振る。A火を焚いて煙りや炎で合図する。B鏡に太陽の光を反射して合図する。  因みに電話のない江戸時代から明治時代、見通しの良い山頂で、昼間は手... ...続きを見る

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2018/06/15 17:07
草ケ部から仰いだ霊山熊山
草ケ部から仰いだ霊山熊山   ...続きを見る

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2018/06/13 21:26
稲作文化圏と麦作文化圏
稲作文化圏と麦作文化圏 週刊朝日に連載中の脳研究者の池谷裕二さんによる「バカトルの万脳薬」2018.4.27によると、稲作文化圏と麦作文化圏とでは気質が異なり、稲作文化では近隣とうまくやっていくことが求められ、自分を抑えて周囲に合わせる傾向があると。  稲作では、集落で水を分配する、ため池や用水があり、社会のルールがあり、収穫期には隣人の手助けも必要で、近隣とうまくやっていくことが求められ、自分を抑えて周囲に合わせる傾向があると・・・・。 山裾の谷間や河口の湿地帯に水田を造成して、上流からの水を絶え間なく流すための... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/06/11 21:47
お帰り日本ミツバチさん
お帰り日本ミツバチさん お帰り日本ミツバチさん 一昨日の夕方、池の上を分蜂したミツバチが、空を飛んでいた・・・・・と。家の前の大池公園の遊歩道を散歩している方から聞きました。  早速、裏山の5か所に新しく製作して設置した杉の丸太の待胴を見廻りしましたが、入っていませんでした。  ところが、今日の夕刻、自宅の蔵の前に、前から設置していた巣箱にミツバチが出入りしていました。  2010年5月に捕獲してから毎年、この頃になるとこの場所の巣箱に巣作りしていましたが、今年は、ミツバチを誘うために巣箱の前に置いていたキンリ... ...続きを見る

驚いた ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/06/07 21:53
中山備中守の墓碑を訪ねて
中山備中守の墓碑を訪ねて  上道町農協だよりの歴史探訪(平成4年5月・189回)に著者の竹田 稔先生が、瀬戸内市の大賀島(大雄山)の麓にある中山備中守の墓を子孫の中山義春氏の案内で詣でたと書かれています。  邑久町史の郷土史編にも豊原地区の大橋に中山備中守の墓があるとされています。新緑の五月、大雄山の保護活動をされている小林さんにお願いして、中山備中守の墓に案内して頂きました。 大賀島は宇喜多一族の発祥の地であり、太雄山の頂上には古刹の大賀島寺があって、宇喜多一族の供養塔が建立されています。 大賀島(大雄山)は、古... ...続きを見る

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2018/06/07 15:55
スマホから、再びガラケイに!! パソコンレスキュー求む
 2年前に、ガラケイからスマホにしましたが、再びガラケイ戻しました。 何故か? @スマホは老人には毒薬? 麻薬?   いわゆるスマホ中毒・・・・ベッドの中でもスマホが離せなくなりました。買った本もツンドク? パソコンには埃が溜まり、ホームページ「私の花畑にようこそ」の更新もままならず。  このところの思考力や記憶力の低下(ボケ)の要因ではないかと? 思い切ってスマホを捨てました。  昔々の真空管時代?が懐かしい1934年生まれの私。 パソ友もいなくなりました。パソコンレスキュー求む。 ... ...続きを見る

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2018/05/29 12:20
日本ミツバチの捕獲作戦
日本ミツバチの捕獲作戦  宮総代をしている鎮守の森の立河神社で伐採された、空洞になった杉を利用して、YouTubeを参考に、日本ミツバチをお誘き寄せる「まち胴」を5組製作、見晴らしの良い裏山の樹木の下に設置しました。  10年来、日本ミツバチの捕獲と採蜜に挑戦してきましたが、昨年は分蜂した日本ミツバチの集団が蔵の前に設置している巣箱に入りましたが、勢いが弱く、採蜜する前に逃げてしまいました。一説にはニコチン系の殺虫剤の影響で方向を見失い帰巣できないとか?  今年も分蜂の季節になりましたが、このところの冷え込... ...続きを見る

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/05/04 20:48
瀬戸大橋架橋30周年とブルーインパルス
瀬戸大橋架橋30周年とブルーインパルス  瀬戸大橋架30周年の記念行事としいて、ブルーインパルスによる航空ショーを、曾孫の美優など4世代で、朝早くから、児島の競艇場にドライブしました。  晴天に恵まれて、紺碧の海とブルーの青空と白い雲、待ちに待った編隊が飛来しましたが。「軽微な故障」で、残念ながら中止になりました。  数年前、米子の美保基地では天候不良で中止となったことから、今回はと期待していましたが残念でした。   あと記念式典が行われた与島まで瀬戸大橋をドライブ、昼食は長蛇の列、一時間も並んで本場の「讃岐うどん」 楽しいドラ... ...続きを見る

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2018/04/09 19:20
四天王屋敷の探索C
 もう一つの四天王屋敷はどこにあったのか?私は今、それは、大平山にあったのではないか。  草ケ部村の西隣りの菊山村は古都荘に属していましたが、江戸時代には大廻り小廻山の西麓の大平山の採草権をめぐっての争いが絶えませんでした。  しかし、古代の山陽道が、大廻り小廻山の麓から備前国府に通じており、国司の逃げ城であったとすると、菊山村は、大平山から山城への正面口であり、地元で三の木戸とよばれてきた水門(城門)の跡も遺されていることから、私は菊山が大廻り小廻山城の正面入口であったと考えています。 ... ...続きを見る

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2018/04/05 10:23
四天王屋敷の探索B
 大廻小廻山城の築城の時期は不明ですが、「日本書記」によれば、天智3年(664)に、「白村江の敗戦によって唐・新羅の脅威にさらされた倭は、有事に備えた伝達手段として烟(けむり)や火をあげる烽火(のろし)を整備、また西海防備のための防人を置いて外敵の侵攻に備えた。そして百済からの亡命した官人の指揮のもと、水城(みずき)、大野城など、太宰府の防衛施設」を造営したと記されています。  その福岡県太宰府市の四天王山系に築かれた大城址は、近くに設けられた大宰府の羅城ともいわれる防衛施設であり、746年に... ...続きを見る

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2018/04/03 22:21
四天王屋敷の探索A
四天王屋敷の探索A   ...続きを見る

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2018/04/01 20:43
切腹の作法
 今朝の山陽新聞の13面 「あの時から始まった150年の軌跡」特集記事によると、映画監督の篠田正浩氏は、87才。戦時下の中学校で切腹の作法を学ばされたとのこと。  ふと、担任の先生に、お腹に墨で太い一の字を書かれて、ここを斬れ・・・・と。水が入っ重たいバケツを両腕に持たされて、廊下に立たされた記憶が蘇りました。国民小学校の4年生のときでした。  その先生は、真珠湾攻撃に参加した岡山出身の航空兵を讃えた、「海の若鷲」を新聞に連載され、お話も面白くて尊敬する先生でした。  子供達が読む漫画も、... ...続きを見る

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2018/03/30 17:44
四天王屋敷の探索@
四天王屋敷の探索@  深夜、寝ぼけまなこで、かねてからの懸案の大廻小廻山四天王屋敷を考えていました。  戦国時代、築地山常楽寺に残されている秀吉からの禁制札には、築地山と多田屋敷の木や竹を伐ることを禁じています。 常楽寺は、明治6年頃に草ヶ部村に合併した小廻山の中腹の築地山村にあり、報恩大師が奈良時代に開基したとされる備前48寺の一寺とされていますが、多田屋敷が伝説の四天王屋敷ではないかと・・・・・。  天平時代までの常楽寺は、国指定の古代山城の大廻小廻山城の城内にあったと伝えられていますが、明治の初め... ...続きを見る

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2018/03/29 21:56
爺の体験を次世代に伝える
吉本新喜劇がモデルとされるNHKの朝ドラ「わろてんか」が空襲と疎開で終わろうとしています。  私の80年余の人生は、岡山空襲と、疎開で経験した自給自足が原点ではないかといま考えています。 町工場から県庁技師、そして新しく誕生したÙ波のテレビ局での様々な体験。定年後は、切り花を栽培してトラックで早朝の花卸市場へ、ブドウ栽培、町内会などのポランティア。そしてライフワークとしての郷土史の研究。 その原点は戦争体験。そし。そして自給自足、前にも書きましたが、父から教えられた「新聞をよめ・... ...続きを見る

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2018/03/24 21:39
しわわせ運ぶコウノトリ
しわわせ運ぶコウノトリ 3月18日、コウノトリが一羽、我が家の前の草ヶ部大池公園に降りたちました。大池は秋から浚渫のため水を干していました。、数日前から水張りをはじめたばかりでしたが、友人からの知らせで、初めて見るコウノトリ、慌ててシャッターを切りました。しばらくは常連のシラサギと遊んでいましたが、観客に驚き、上空を旋回して南方向に飛び去って行きました。  コウノトリウの黒い大きな嘴、そしてスマートな黄色の足には青と黄金の標識が巻かれていました。 そして私は、コウノトリはしわわせや赤ちゃんを運んでくる・・・・との伝... ...続きを見る

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2018/03/22 21:16
苗床に種イモを植え付け
苗床に種イモを植え付け 厳しい寒さも和らいで,春の訪れが待たれる今日は、少し早すぎるようですが、有人とブドウのハウスの中に組み立てていた芋座に種イモを植えました。無事に芽が出て蔓が採取できますように。 毎日の水やりと温度の管理。忘れないように出来るかどうか?                                                                                                            ...続きを見る

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2018/02/28 19:56
鮒、鯉、鯰。そして埋蔵歴史展に。
厳しい寒さが和らいだ小春日和の今朝。1年振りに、沼川での建て網漁に友人と挑戦。昨年はブラックバスが一匹のみでしたが、今年は?大きな鮒3匹、鯉1匹、鯰1匹。畑仕事をしていた方のお話しによると、毎日のように鵜がきて、小魚は食べ尽くしてしまったようです。水槽に放して、水道水を流し込み、バイブレータで空気を吹き込んで、泥を吐かせていますが、泥臭さが抜けるかどうか? そして、午後からは、家内と岡山シティーズミュージアムで開催されている「瀬戸内海が育んだ交流の記憶」展に。 ...続きを見る

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2018/02/27 20:48
読書は夢の世界への道案内
昨日、図書館からの帰り。軽トラで信号が青になったので交差点を左折しようとすると。分厚い本を読みながらわき目もしないで横断する男性に出会いました。本屋や満員電車での集中した読書、脳は不思議な生きものてすね? ...続きを見る

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2018/02/16 03:58
郷土史探訪発刊
郷土史探訪発刊 昭和49年から平成12年の25年間に亘って、私が住んでいる上道地区を中心にして、古代吉備国の歴史を自ら探訪して執筆された、元上道中学の竹田先生によるГ歴史探訪」が「農協だより」に連載されていました。私の家にも毎月、配られていたはずですが。わたしが保存していた裏山の常楽寺の号を読んで、全号を探して再読してみたいと思いつきました。先生は元上道中学の先生であったことを頼りに、1年前からバックナンバー探しに熱中していましたが、先生のご子息のご協力を頂いて、色褪せた原版を修正して、目次も作成して、300ペ... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/02/13 22:01

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